霧の王2014年07月19日 08:46


霧の王

久しぶりに本格的なファンタジー。ドイツの作家 Susanne Gerdom の霧の王。

主人公は、大きな館に住み込みで勤める少女サリー。サリーが知るのは、仕事場の厨房と共同の寝所、中庭の菜園、それと図書館くらい。図書館で読む本の中に「道路」や「広場」と書かれてあっても、それがどのようなものか想像がつかない。実際、館の住人達は、何らかの事情で空間的、時間的に閉じ込められている。サリーは、その中をさまよううち、その事情を少しずつ紐解いていく。とはいえ、サリーの成長譚という趣ではない。知らず知らずのうちに事実に近づいていってしまう。

建物の中を歩きまわる夢を見た後、夢の中では部屋や通路の位置関係は整合しているつもりだったのに、思い起こすとめちゃくちゃ、ということがある。サリーが彷徨する館は、そんな印象。住人にもそんなところがある。本人達は、整合の取れた生活をしているつもりだが、読み手はずれを感じる。そのずれの感覚は、ゆくゆくはサリーにも伝播していく。

作者の別の本を読みたいとAmazonを探し見ると、本書の他はドイツ語版のみ。英語への翻訳もない様子。そう考えると、数は多くないにしても、英語の本以外も翻訳に努める日本の読書事情はなかなか得がたいもの。

総武本線 市川~佐倉 開業120周年2014年07月24日 19:10

所用で朝、千葉駅に降り立つ。

総武本線千葉駅開業120周年
総武本線千葉駅は、開業120周年。千葉支社のページにキャンペーン情報が出ている。
http://www.jreast.co.jp/chiba/event/campaign/120anniversary.html
JRAは、60周年。いろいろと今年はキリがいい。

千葉駅、船橋駅、佐倉駅、市川駅をめぐるスタンプラリーに挑戦してみようと思い、千葉駅を探すが、スタンプ台が見つからない。キャンペーンのページをよく見ると、スタンプ台設置は、10時から18時まで。先に用事を済まそう。

佐倉駅のスタンプ台
所用のついでに歴博に寄ろうと思い、佐倉駅に向かう。無事、スタンプ台を発見。乗車券売り場の手前。

市川駅のスタンプ台
帰りは、市川駅。改札の横。

都賀駅千葉モノレール
佐倉に向かう途中、都賀から乗車。千葉都市モノレールがよく見える。暑い中、静かにやってくるので、写真を撮るのは一苦労。若葉区役所の手前あたりがポジションとしてはよかった。

都賀駅NEX
モノレールがいった後、すぐにNEXがやってきた。このところ、京成ばかりで乗っていない。

加曽利貝塚公園2014年07月25日 11:11

佐倉の歴博に向かうため、都賀駅に向かう途中。千葉駅からバスで20分ほどのところにある加曽利貝塚公園に立ち寄る。

加曽利貝塚
入り口には貝塚の石碑。

加曽利貝塚公園
公園を見渡す。今日は酷暑。日影に犬の散歩途中の人影。近くの学校の部活の生徒だろうか、暑い中ランニングに精が出る。

縄文ほおじろの森
裏手は、縄文ほおじろの森。ちょっとした遊歩道。木々の合間は涼しい。

加曽利貝塚博物館
公園内には、加曽利貝塚博物館。入館料60円とは良心的だが、今日は先を急ぐ。

貝塚断面
博物館とは別に、貝塚断面を保存する施設がある。古い防空壕に潜るような気分。

弥生ってなに?!2014年07月25日 11:44

久しぶりに国立歴史民俗博物館を訪れる。

弥生ってなに?!
企画展示は、「弥生ってなに?!」
意図したわけではないが、縄文の加曽利貝塚をまわってから、弥生の展示となった。入り口では、企画展示を最後にまわることを勧められるが、本展示は膨大なので、軽く流しておかないと、気力が持たない。最初の古代の展示はしっかり見ておくこと。

新しい弥生時代像の構築
今回のきっかけは、学士会会報2014年7月号の「新しい弥生時代像の構築」の記事。「炭素14を用いた年代測定法により、稲作の開始が通説よりも500年遡る」という。これにより、弥生時代像は大きく変わろうとしているらしい。その一端を見にいこうと思った次第。

言われてみれば当然かもしれないが、稲作をはじめとする弥生の文化は、地域により、異なる進度で伝播したとのこと。これだけ広い日本が全国一律に変化するはずもない。交通事情も今とは違う。東北が早いのは、日本海側の海上交易が古くから盛んだったことを思わせる。後の北前船の交易に通じるよう。

青銅器の展示もおもしろい。見慣れた青緑のものの他に、作られた当時を再現したいかにも金属器という光沢の青銅器は新鮮。建造当時を再現した朱塗りの社寺を見たときの驚きに近い。

それにしても、この頃から、家猫がいたとは。私たちの猫とのつきあいは、意外と古い。

弥生ってなに
展示は、9月15日まで。暑いので、汗だくで見てまわることのないよう、バスで入り口まで行くのがおすすめ。歴博のバス停は2つあるので、門をくぐり、坂を登ってからの方で降車ボタンを押すこと。今回は、運転手さんに気を遣ってもらってしまった。

屋鋪要の保存蒸機完全制覇2014年07月29日 19:15


屋鋪要の保存蒸機完全制覇
時刻表の広告だったか、見かけていたものの、しばらく版切れだった。ふと見ると、在庫表示されているので購入。旅をしていると、思わぬ場所で蒸気機関車と出会うことがある。あれは、なんだったのか、そんな疑問に答えてくれる。

諏訪湖のほとりのD51
そんな蒸気機関車の一両。諏訪湖のほとりを散策中に見かけた。たしかに掲載されている。

本書の構成は、最初の20ページほどが前原氏との対談。次いで100ページほど撮影の旅の様子を振りかえる。印象深かった箇所を選んだのだろうが、機関車との出会いを描いた、この部分がもう少し充実しているとうれしかった。最後に、600余両を白黒写真で掲載する。

時間と自由2014年07月30日 16:44

漱石の「こころ」の新聞紙上の連載が始まってから100年を記念し、改めて新聞紙上で連載されているとのこと。

関連してか、岩波の読書誌「図書」4月号にて、当時、日本で流行したベルクソンの哲学と漱石の関連を、赤木昭夫氏が論じているのを読む。どうも漱石が高い関心を持ったとされる、「時間と自由」を手にしてみた。
https://www.iwanami.co.jp/tosho/782/tosho.html

時間と自由
巻末のあとがきによると、原著の刊行は1889年。赤木氏の記事によると、漱石が読んだのは1911年。

数学と物理をよくしたせいか、微分や力学の表現が随所に出てくる。数学と物理が大きく発展した19世紀末の時代背景があったのかもしれない。ただし、数学も物理もこの100年でずいぶんと進んでいる。空間と時間の相違を訴えるくだりがあるが、相対論により空間と時間は相対化された。物理現象と意識の相違を訴えるくだりについても、物理現象は決定論に従うという考えは量子論により修正を受けている。

これらをもって、時代遅れで読むに値しない、とするのは早計。言葉、ないし、概念をじっくり掘り下げて考え抜く、論文を通してその過程を追体験することは、普段、いい加減に考えていることを思い知らせてくれ、新鮮だった。適当な意訳になるが、「ほとんど対立する概念が一つの言葉のうちに込められ、世の中で都合のよい常識になってしまっている」(259ページあたり)、とか、「たいていの場合、私たちは外部の影響を受けて生きており、自由であるのは稀」(276ページあたり)、というのには、はっとさせられる。

それにしても、100年を経て、感じるところは違うとは言え、漱石と同じ本を読む、という経験は感慨深い。