民族の創出2016年06月06日 07:11


民族の創出

熱い本。日本に内在するいくつもの民族意識を実例をもとに拾い上げ、「単一民族による均一な国」というのは作り上げられた像であり、文化的な多様性を認め合い、誇りとする国でありたい、と語る。著者が出雲出身ということもあり、均一化を強いられた側の「取り戻したい」との気持ちがひしひしと伝わってくる。淡々とした論文調の記述を想定しただけに、最初は少し戸惑う。その分、厚い本に。

論述は、時代時代の権力側によって、それぞれの地域の伝統や文化が置き換えられる側に立ったものが中心。実際には、先進の文化を取り入れたい、閉塞した意識から解き放たれたい、など、地域の側にも中央の文化を求める動きもあったはずだが、そちらへの言及は少ない。

徳川が国内を平定し、統一政権を樹立したのには、それまでの戦乱を収めるには、生産力の向上と安定が必要であり、それを実現する大規模な治水や土木工事には、大規模な動員や資金調達ができる強力な政権が必要との認識もあったはず。

明治政府は、より徹底した集権化と同質化政策を進めたが、欧米列強からの圧迫と阿片戦争などの顛末を見聞して、相当の危機感があった裏返しともいえる。いまから見ると過剰反応のあまり、地域の多様性を根こそぎにしすぎたとの評価になるのかもしれないが。神話の再創造の件は、なかなかの衝撃。

戦後は、それを良いことに、経済発展最優先で、無批判に同質化を進めた。

現在、予断を許さないものの平和が続き、一定水準の経済状態に達したことで、これまでないがしろにしてきたものを見る余裕ができ、様々な価値観が共存する社会への可能性を見出しつつある、そういうことではないか。

終章は将来の展望で締める。ただし、さらなる発展のために文化的多様性を誇りとする国にする、という一節からは、「発展」への刷り込みから逃れられていない様子が窺える。経済的発展や、世界に冠たる人材の輩出などは、目的にはならないはず。時に相克するもの。

それにしても、生まれ育った土地や環境によって、「同じような人が住んでいる」か、「いろいろな人が住んでいる」か、とらえ方は様々であることを学ぶ。日本各地から転勤してくる人が多い町で育ち、全国を18切符で旅する身には、いろいろな人が住んでいる、が当然と思っていたがそうでもないらしい。それが東京に来てから折に触れて感じた違和感の正体だったか。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://c5d5e5.asablo.jp/blog/2016/06/06/8105348/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。