ソシオエコノミックス、西部邁の経済思想入門2019年10月18日 16:37


ソシオエコノミックス

昭和50年刊。1975年。学生時代の参考書を発掘。西部氏の最初の頃の著作。

最初の数頁で、たいへん読みにくい本であったことを思い出す。特にプロローグが厳しい。用語に、その用法も独特。「頭のいい人」の文章。多数の文献とその研究を踏まえた本であるが、そこから導かれる道筋をかみ砕き、再構成することなく提示する。おそらく著者は、多数の研究をそのままの形で頭に入れ、自由に出し入れできる才の持ち主。そうでない読者は、自らかみ砕き、再構成しながらでないと、論旨が頭に入ってこない。

しかし、経済学の諸理論が単純化に走りすぎ、人間や社会といった複雑なものとの関連を忘れがちであり、専門分化した諸学問は協同して、この複雑な対象を解明すべき、との視座は確か。

「あれこれ間に合わせの政策提案を根拠づけるために消費者主権や生産者主権といった「虚偽の意識」を持ち込むより、現実がどうであるかということにかんするイメージを確かなものにするほうが優先する(P192)」といったあたりは、今そこにある社会とその成り立ちを見据えるべきとし、将来の保守の論客としての立ち位置を予感させる。

「孤立学として発展してきた経済システムは、人間と自然と社会組織を破壊する(P267)」と論破し、当時の公害問題を踏まえつつも、現在進行中のグローバル化やSNSなどのコミュニケーションツールを用いた経済行動の弊害をも予見する。

「必需品とは、共同の社会的枠組みをつくり、そのことによって社会の安定に寄与する財のこと(P290)」といい、幸福や平等といった理念のレベルで思考を止めるのではなく、実質に考えを進めて答えを導く姿勢を求める。

学問の過程を、直感、仮説の定立、検証、実践、と進むものとすれば、本書は直感の少し先に位置するくらい。本書では、実践に身を投じた宇沢氏を評価するふうでありながら、本人は経済学と距離を置き、論客として活躍することになる。

西部邁の経済思想入門

2012年刊。こちらは、増補分を考えれば、最後の方の著作。

はじめに、で、経済学と距離を置いた理由を告白。いろいろわかってしまった、というところなのだろうが。これが、数理の世界なら、わからないことが自明、となったはずだけど。

本書は、うって変わって読みやすく、わかりやすい。順番からいうと、こちらを頭に入れて、ソシオエコノミックスを手に取るのが正しい。経済学における研究の過程が、その研究を生み出した社会的要請に、その後の評価と共に整理されている。著者のバイアスがあるにしても、十分、中立の立場で、現在での評価を示してくれる。

合間に主張される論は、ソシオエコノミックスでなされた論と驚くほどぶれがなく、一貫している。最後の章「総合の経済思想」は、学際研究が必ずしもうまくいっていないことを示しつつも、経済学を含む社会科学の可能性を信じる言葉で閉じる。