福月餅 9月は和栗餡 ― 2014年09月01日 12:35
オランダ家、毎月一日は福月餅。9月は和栗餡。もう、栗の季節。
ほのかな栗の実色。柔らかな餡と同じくらい柔らかな中のお餅。餡は、もう少し栗の香りが出るといいが、自然のままだとこのくらいなのかも。ゆで栗を丹念に漉したような味わい。
しあわせの愛ちゃん大福、も入手。まだ、お昼前なのに、残り少ない。柔らかい餅に、豆のアクセントも、餡の練り具合もちょうどよい。ふと、甘いものが欲しくなったとき、いつもで手に入るわけではないにせよ、コンビニやスーパーでお茶を濁すのは、控えようと改めて思う。
賞味期限は、どちらも本日中。生菓子ですから。
鎖国 ― 2014年09月02日 18:00
朝尾直弘著作集の第五巻。鎖国。小学館「日本の歴史」の一冊からの再録。
秀吉のキリシタン禁令に始まり、貿易の変遷、欧州各国の確執、徳川の西国支配の進展、長崎への貿易の集中、朝鮮や琉球それに蝦夷地との関係、島原の乱、貿易に依存する経済から内需経済への移行、政治の関心の内政への移行、等を通じ、徳川の治世が確立するまでを述べる。史料を元にした論文ではなく、一般向けであるため、読みやすい。所々脱線もある。
・鎖国前夜の国内外の勢力の足の引っ張り合いのすさまじさ。スペイン(含むポルトガル)対オランダおよび英国、スペインの宣教師内の対立、貿易権益をもつ大名と幕府、貿易を担ってきた豊臣ゆかりの代官と幕府。このすさまじさは、当時の民度の低さを言うべきか、むしろ、古今の差はなく暴利が人を狂わせたと言うべきか。出島の「オランダ商館の輸入品利益は10から30割増」との記述がある。粗利としても50~75%、経費を除いた利益だとすればとんでもない。
・島原の乱。ここまで鎖国についてきて述べてきて、歴史の必然の積み重ねの先に、のっぴきならぬ事態に陥ったことを知る。以前、島原鉄道に乗り鉄で訪れたことを思い出す。そのときは、半島と海の美しさしか見ていなかった。
2002年。まだ、島原鉄道が通っていた頃、加津佐から天草方面を望む。
水元公園 ― 2014年09月04日 14:44
日中の日差しも落ち着いてきたので、しばらくぶりに遠出。今回は水元公園。
葛飾区の一番上、三郷市との境。野鳥に会いにいくとなると、いつもは葛西臨海公園だが、水元公園も有名らしい。手を広げに出掛ける。
一番西側の入り口。
実際に入ったのは、一番東側。江戸川の遊歩道から。海から19.75kmの標識のあるところ。公園の一番上の端に架橋があり、渡りきったところが、入り口。東の入り口から西の出口まで、いろいろ見て回ると4、5kmは歩く羽目になるので、足下には注意。
くちばしが黒いのでコサギか。水辺に座っている人のすぐ脇で身繕いをしている。ここの水鳥たちは、ずいぶんと人に慣れている。ズーム5倍のコンデジでもしっかり姿を捉えることができる。歩いて近づいても5mくらいまで逃げない。
夏だけど、くちばしが黄色いところでダイサギか。
少し遠かったが、アオサギ。
カルガモ。何羽もいるが動きが素早く写しにくい。
ここからは植物。広いハス池がある。花はそろそろ終わり。ハスの実の方が目につく。
ヒメコウホネ。黄色い可憐な花。
ガガブタ。ふわふわの花がかわいい。ホームページによるとごんぱち池のアサザがきれいらしいが、保護のため柵があり、外からよく確認できず。
パンパスグラス。伊藤比呂美さんの図書の連載が、最近、本になった。その中に記事がある。北米では、庭に生えると厄介者だそうだ。抜くのに重機がいるというので、実物を見たくなった。
たしかに大きい。株の根元ががっしりとこぶのようになっている。広い公園ならいいが、個人の庭では邪魔になりそう。
ポプラ並木。ポプラなんて北海道だけと思っていた。北大のキャンパスのよう。
変わったところでは、金魚の展示飼育池。大きさも色もとりどりの金魚が50ほどの池で泳ぐ。
朱文金だったか。優雅な尾びれが見事。金魚というと小さい印象だが、ここのは大きく育ったものが多く、堂々と泳いでいる。近世史を学んでいて、江戸時代にずいぶん流行った、と思い出す。
攻殻機動隊ARISE border:4 ― 2014年09月09日 20:08
ARISEも最終話。観終わって、これで終わり、というよりも、ここから始まる、との印象が強く残る。このあたりの話のもっていき方はさすが。全体的には、拡げた話をなんとか収め、小難しい話で煙に巻かれた感もあるが、まあ、満足の出来。刷新した配役の評判もよかったのか、劇場版も作成とのこと。2015年、公開予定。
映画館のある船橋のららぽーとは、何と休館日。帰りに買い物の思惑は見事に外れ。その分、早く帰って、満月を堪能。
近世都市論 ― 2014年09月11日 15:51
朝尾直弘著作集の第六巻。近世都市論。二部構成。第一部は、堺。第二部は、京都。農村の村に呼応する、都市部の町(チョウ)をめぐる論を集める。
・堺と京都および周辺のいろいろな地名が出てきて、どのような場所か気になる。まずは、地名をGoogle Mapsで見てみるが、堺は砂碓の上に築かれた、と言われると今度は地形が気になる。ここでは、国土地理院のサイトが重宝。等高線や標高の数字を見て、地形を実感する。
http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/#zoom=4&lat=35.99989&lon=138.75&layers=BTTT
http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/#zoom=4&lat=35.99989&lon=138.75&layers=BTTT
・平安京で築かれた街並みと今の京都の街並みの間に断絶があり、長いことつながらなかったが、少し解明。室町の終わり、信長の頃は、町の集まりは上京と下京の2つ、周囲には田畑も多く広がっていたという。その後、秀吉が土居を築いて洛中を定めたが、町の集まりはまだその一部。その後、家光の頃には、土居を越えて町が拡がり、さらに、鴨川の治水を経て、ついには鴨川の東に拡がったという。地元の人は郷土史などで学ぶのだろうが、たまに訪れるだけの関東の人間には新鮮な歴史。
正法眼蔵随聞記 ― 2014年09月12日 13:32
文庫版の正法眼蔵は、さすがに手強くて中途のまま。こちら随聞記の方を先に読了。岩波文庫版には、現代語訳はない。古文ではあるが、字体を常用字体にし、読み仮名があり、カナをひらがなに改めてある。古文に親しみがあれば、少々の字引で読める。ただし、仮名遣いは独特なものがある。
末尾の跋語によると、全六巻とも嘉禎年間の記録という。日本史年表によると1235年から1238年にあたる。鎌倉の北条執権のはじめの頃。今から800年弱の昔。僧でない一般の人とのやりとりも多く記録するが、今と変わらないことも多く驚く。
当時がどのような世の中であったかはわからない。書かれていることから察するに、道元らを悪く言う人もいるし、名声を聞いて寄ってくる人もいる。一般にも立派な人はいるし、僧にも名声や富を求める人もいる。そのような人たちと交わりながら、世の中にいろいろな価値観がある中で、自分の信じるところをどう求めていくのか、現実的な言葉で語られる。現実的というのは、状況に応じて、自分で判断することを求めているところ。単純なマニュアルになっていない。このあたりが読み継がれる訳とも思う。
第六巻八から
病も治しつべきを、わざと死せんと思ひて治せざるも外道の見なり。仏道の為には、命を惜しむらくなかれ。亦惜しまざることなかれ。
遊仙窟 ― 2014年09月13日 19:32
唐代の伝奇小説とされる。本文は100ページほど。現代語訳。訳注が100ページほどと充実。さらに、史料として醍醐寺本の影印が100ページほど続き、25ページほどの解説。今は版切れ。神田の古書店で入手。本文だけであれば、一日もあれば読める分量。
物語は、西安の西の地(訳注によれば陝西省宝鶏市隴県のあたり、西安からは250kmほど西)に勤めていた主人公が、蘭州を越えて西寧のあたりに赴任することになる。その旅の途中、険しい道すがら、神仙の住むといわれる場所にたどりつき、美しい女と出会い、宴を持ち、一夜をともにし、別れるまでを描く。その女と兄嫁、旅の主人公、三人の詩を介した駆け引きが面白い。
中国では失われたが、伝来した日本では大切にされ、山上憶良や藤原公任ほか、引用しているとのこと。おそらく、中国ではすぐに読み捨てられるような類いのものだったが、描かれた世界のきらびやかさに当時の日本の人はいたく憧れたのかもしれない。小さい頃、初めてのパソコン雑誌やサークル誌に夢中になり、捨てられなくなったものだが、そのような想いだったのかも。
テンペスト ― 2014年09月15日 22:08
Dan SimmonsのOlymposをIliumに引き続き読んでいる。それぞれ、名前の通り、ホメロスのイリアスを題材に録る。イリアスに限らず、いろいろな古典を引いており、テンペストの主人公プロスペローの名を持つ人物も重要な役を担う。とはいえ、なぜ、彼がプロスペローの名を持たねばならないのか、引用元に立ち返ることにした。
Olymposの方では、プロスペローは早々に退場。ただし、彼に仕えたSetebosが暴れている最中。もっとも、テンペストでのSetebosは、プロスペローの術の強さをいうために引き合いに出されただけ。舞台には登場していない。
舞台の映像作品は、国内にはあまりない様子。Amazon.comのInstant Videoにはいくつもある。観るならばこちらか。
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