感染の広がりモデルにおける吸収状態遷移2021年11月16日 18:10


数理科学2017-07

少し前の記事になるが、「数理科学」2017年7月号の「非平衡相転移におけるミクロとマクロ」から。伝染病の広がり等を単純化したモデルを例に、「一度入ったら二度と出ることができない巨視的な状態」である吸収状態に、入るか入らないかの相転移(吸収状態遷移)を解説する。

実際の所は、後年の研究に待たなくてはいけないが、現今のコロナ感染の急速な低下を見るに、吸収状態遷移が起きたのでは、と思わせるものがある。この場合、大小の感染クラスタがミクロ自由度にあたり、社会という大きなスケールでの感染爆発や収束といった相転移をもたらすのか。立証は大変だが、仮にできたとしても一般向けの説明は難しそう。そういうもの、としか言いようがない。

The Elder Gods - Book One of the Dreamers2021年09月12日 08:10


The Elder Gods

David and Leigh Eddings夫妻の最後の長編。4分冊の1冊目。

荒れ地に住む異形のものたちが、神々の治める土地に攻め入る動きを見せ、神々は自分たちに課せられた制約を補おうと、自らの地に住む海賊や傭兵といった荒くれ者たちを戦いに誘う。1冊目では、最初の戦いの顛末まで。

Eddings夫妻の著作では、ベルガリアード物語とマロリオン物語はハヤカワのFTで。その次は、翻訳を待てずに、まだ、オンライン書店として育ち盛りのAmazon.comでThe EleniumとThe Tamuliのシリーズを手に入れ、通勤の電車の中でむさぼり読んだ。

これらは、いわゆる英雄譚で、主人公たちが成長し、困難を乗り切る様を楽しむ物語。個人的には、日本のラノベあたりにもそれなりの影響があったのでは、と思うところ。対して、今回のThe Dreamersのシリーズは、神々が表に出てくる。超常の力を振るう彼らには、ちょっと感情移入しにくい。そのあたり、Amazon.comの評も辛口のものが多い所以か。

Eddings夫妻が、おそらく最後の長編になることを意識しながら、なぜ神々を主役の位置づけで描こうとしたのか、興味のあるところだが、この先明らかになるのかしらん。

水玉さんの描く、きゆづきキャラ2021年08月30日 16:42


水玉さんの本

ふたたび、水玉さんの本。ワンフェスのワンダちゃん、SFまで10万光年以上。ページをめくっていくと、きゆづき作品への言及がちらほら。

ワンフェスのワンダちゃん
p145;ニジュクとサンジュ;ワンフェス2008年冬
p153, 155;ノダちゃん;ワンフェス2010年と2011年の冬

SFまで10万光年以上
p163;2000年9月号掲載分。おそらく、この頃嵌まっていた作品の列挙の中にGA。他には、らき☆すた、あずまんが、けいおん。まあ、そういう仲間だよね、という謎の納得感。

これで終わりにしようと思ったのだけど、アスプリンのマジカルランドシリーズを大人買い。どれも古書店だけど、全巻とはいかないまでも結構揃う。ハヤカワさんも、これらに限らず、電子化してくれるとうれしいんだけど。

緋色の研究2021年07月16日 10:55

事件簿は、米国の著作権が切れていないので、緋色の研究。英文と訳文の読み較べ。

A Study in Scarlet

英文は、引き続き、Standard EBOOKSから。

緋色の研究

訳書は、光文社文庫から。2006年の訳。日暮さん。現代の日本語として、これまで読んできたものの中で一番自然なもの。本文は、Kindleの目盛りで90%くらいまで。注釈と解説がつづく。注釈は充実したもの。ちょっとしたホームズ辞典。

一応、長編に位置づけられるが、分量としては、最後の挨拶の7割ほど。うち、半分ほどが事件の背景にある過去の描写なので、ホームズの活躍としては、短篇2~3編分ほど。ホームズ自身も単純な事件と言っているし。

それでも、短篇と違ってホームズはきちんと説明してくれるし、二人のなれ初めや、若かりし頃の姿の描写など、短編集を読んだ後では、なおのこと、興味を惹く。

最後の挨拶2021年07月02日 19:58

冒険、回想、帰還、につづいて、最後の挨拶。英文と訳文の読み較べ。

His Last Bow

英文は、引き続き、Standard EBOOKSから。

最後の挨拶

訳書は、創元推理文庫から。2014年の訳とあって、これまででもっとも自然な読み口。ちょっと難しい単語を用いて雰囲気を出そうとしている節が少々。訳者の深町さんは、それなりの年代なので、自然と出てしまうか。末尾に(Kindleで95%くらいから)、戸川氏の解題と、日暮氏の解説。

英語版では回想に入っていた、The Cardboard Boxを収録。

物語の方は、ホームズもワトソンもやや説明口調が多め。その分わかりやすいとも言えるが、これまでのキレの良さがやや影を潜める。末尾の「最後の挨拶」は、ちょっと変わった書き口。前半、歴史小説のような展開。ドイルは、こちらが自分の本来の姿と主張しているようでもある。

Bruce-Partington Plansの事件では、ロンドンの地下鉄が活躍。ちょっと地上に出ている部分があって、丸ノ内線を知っているとイメージしやすい。現在の路線図と見比べると、London BridgeとAldgateがつながらない。London Bridge対岸のMonumentだと、うまくいく感じなのだけど。

短編集は、もう一つ、事件簿、があるが、こちら、米国では、著作権満了が2023年ころ、ということで、Standard EBOOKSでは未収録。Amazonで見ると、いろいろあるが、信頼ある出版処で、以前紙で読んだPenguinは少々お高いが、HarperCollinsなら300円くらいと、それほどでもない。まあ、あと少し。待ってみるか。

空き家の冒険 - シャーロック・ホームズの帰還2021年06月14日 20:27

回想につづいて、帰還の英文と訳文の読み較べ。

シャーロック・ホームズの回想

英文は、引き続き、Standard EBOOKSから。

空き家の冒険

訳書は、岩波少年文庫。訳文の印象とは異なり、意外と最近で2000年の刊行。Kindleの電子書籍で。13編中、5編の収録。ホームズが帰還する表題作の他は、血なまぐさいもの、政治的なもの、女性が乱暴されるもの、などを除いた選択か。

・空き家の冒険
・ノーウッドの建築業者
・六つのナポレオン像
・三人の学生
・金ぶちの鼻めがね

訳文は、こちらも直訳調。少年文庫とあって、漢字表記を抑えてかなが多い。読んでいて、これという違和感はないが、やや堅苦しい感じ。2000年の刊行とそう古くないが、訳者の林氏の晩年の訳とあってか。

少年文庫のターゲットは、小学校高学年から高校生くらいだろうか。言葉は時代とともに変わることを考えると、20年に一度くらいは改訳して、その親の世代くらいの訳者のものを読ませてあげたいところ。

少年文庫版には収録されていないが、自転車乗りの話の冒頭、1894年から1901年の間は、忙しく充実した日々、とある。他方、回想のマスグレーブ家の話の中で、ホームズは1880年頃の緋色の研究の頃は、そこそこ名も知られ人脈もできていたが、そこに至るには長い期間を要したとある。探偵業を天職と意識したのが大学在学中だから、おそらく30歳前後。すると、帰還の話は、40台後半~50台の話。その割には、アクティブな活躍を見せる。

また、これも少年文庫版には収録されていない編(スリークウォーターバックの失踪)だが、警察犬のはしりのような活躍もあって、この時代の捜査手法の進展を感じられる。

山海経(せんがいきょう)2021年05月18日 15:02


山海経

せんがいきょう、ないしは、さんかいけい。1973年刊のシリーズものからの単行本化。新書と文庫の間くらいの判型。中国の古典を読んでいると、時折、参照されるのでどんなものかと。

全部で18経。うち最初の5経が五蔵山経で、2/3程の分量。洛陽の周辺の記事。どの方角のどのくらい先にどんな山があって、採れる鉱物、草木、動物を列挙する。ときに、神とよぶ、その地の主と言えるような存在に触れる。戦国時代以前の成立ではないかと。

次いで、以遠の記事を収める、海内経と海外経が8編。さらに、より遠くの記事を収める、大荒経が4編に、海内編1編。これらは、地名と来歴、その地に住む人物(といっていいのか不思議な存在)について示す。五蔵山経より少し後の時代の成立の様子。

解説に、絵図の説明文ではないか、とあるが、そんな感じで淡々とした文がつづき、読みやすいものではない。清代の刊本からの挿絵が豊富にあり、想像を補ってくれるのが幸い。儒教や道教の広まる前の中国の、素朴とも言える世界の見方の一端を教えてくれる。索引があれば、中国古典を読む際のハンドブックとして重宝するのだけれど。

シャーロック・ホームズの回想2021年05月11日 14:18

冒険につづいて、回想の英文と訳文の読み較べ。

回想

英文は、引き続き、Standard EBOOKSから。

シャーロック・ホームズの回想

訳書は、今度は、早川書房から。2003年版。Kindleの電子書籍で。

Amazonの商品説明では、12編収録とあるが、実際は11編。英書だと2編目に来るThe Cardboard Box(段ボールの箱)は、ちょっと猟奇的な内容なので、収録する版と別にする版がある。早川は収録しない方を、原書にしているようす。有名なライヘンバッハの滝の事件が最後に来る集。

訳文は、英文の構造に沿ったもの。正確さを意識した文章。訳語の選択も、そんなに引っかからない。ただ、その帰結として、日本語の文章としてみると、ちょっと違和感が出てしまう。19世紀末頃の英文自体が古めかしいせいかもしれない。ある意味、これはしかたがない。

最終編の「最後の事件」は、語り口から、それまでの編とは明らかに異なる。ドイルもさすがに力を入れて書いたと思わせる。残念ながら、努力は報われず、続編を書くことになるのだけど。

末尾に、解説として、冒険、回想の出版を巡るドイルの事情が説明されている。後世に読み継がれるかどうかは、文学作品としての高尚さとは相関しない、ドイルには悪いが、それを実証してしまっている。昨今の小説でも、意外と、なろう発とかの作品の方が、100年経っても読まれているかも。