利根川、神崎 ― 2024年12月18日 16:07
作業が一段落したので、直売所しもうさにそばをいただきに出かける。

出がけにねこ。

田んぼの用水路のようなところにオオバン。逃げられる。

しもうさのそば。

せっかくなので利根川のサイクリングロードに出る。少し風が強い。

道の駅神崎のあたり。圏央道の橋の工事もずいぶん進む。

復路で田んぼにタゲリを見つける。いることはわかっていたがようやく撮れた。

結構遠くにいても逃げられるがちょうどよいところに停まってくれた。光の具合で羽の色が変わってみえるのがおもしろい。

少し先に別の個体。
印旛沼、新川 ― 2024年12月05日 19:29
いつもの印旛沼周回より距離を伸ばして、新川、道の駅やちよまで。

印旛沼越しに筑波山。空気が澄んできた。

新川の自転車道には、ロードレース大会の告知。このあたりは道が荒れていて大丈夫?

道の駅やちよでは、トイレ棟の新設工事中。

新川では、カンムリカイツブリが目に付く。

オオバンは、まだ大きな群れは来訪せず。

鵜は、いつもどおり。

帰りに、吉高の大桜に立ち寄る。枯れ枝は落としたのかな。

振り返ると、ひまわり畑に花が残っている。
印旛沼 ― 2024年11月29日 09:08

今年も大勢のカモたちが来訪。

多いのはオナガガモ。尾の先とオスの首筋がポイント。

それとカルガモ。目をこらせば、他にもいろいろいるのだろうけど。

飛び立つと壮観。

いつもの港には鵜とサギとカモ。

ペリカンはお休み中。
晩秋の札幌 ― 2024年11月28日 16:28
11月半ばからの札幌。そろそろ雪の季節。

公園の池にはカワアイサ。

集団で行動し、いっせいに潜る。かなりの時間、潜っている。青首はマガモに近いが、潜りを見れば見分けが付く。

数日だけだけど、ヤマセミに遭遇。2羽で追いかけっこしていた。

着水はしない。

ひなたぼっこする鵜。雪が降ると姿を消した。

ホオジロガモ。

雪の日のマガモ。彼等は我慢強い。

林にはアカゲラ。

同じ場所にはずっとはいない。しばらくすると戻ってくる。餌場を順繰り回っているよう。

エゾリス。

道路脇にポールを立てる作業。雪が積もると境界がわからなくなるので立てておく。

そんなこんなで藻岩山スキー場にも雪が溜まり始める。
大洗~苫小牧 ― 2024年11月27日 16:30
今度の札幌行は、船で。

大洗駅。

さんふらわあ ふらの。

東の空の朝焼け。

夕ご飯と朝ご飯は自前で済ませたが、お昼は食堂でキーマカレー。船に乗ったらカレー。

バスで苫小牧駅。時間が合ったので駅の食堂を覗く。

目的は三星の駅前店。

ハスカップジャムの他、お菓子を少しずつ買い集め。
印旛沼 ― 2024年10月27日 19:37
秋も深まるがまだまだ気温は高め。

それでも、モズが降りてきた。

田んぼにはムクドリの集団。

湖面では、ぼちぼちカモの数が増えてきた。

場所を変えると大きな群れができはじめている。水浴びの羽音が大きく響く。

オオバンも来ている。

常在のウとサギ。

ペリカンは、今日は元気に羽繕い。
秋の札幌、エゾリス、ヤマセミ ― 2024年10月19日 09:34
往路は鉄路。

大沼から駒ヶ岳。

有珠を過ぎて昭和新山。

近所の公園。暖かい間は活動範囲が広がり見かけることがなかったエゾリスに遭遇。

ブナの実を物色するヤマガラ。

アカゲラ。定期的に餌場をめぐるのか、ときどき現れる。

コゲラ。

水面にはカイツブリ。小さいが声でわかる。

河の浅いところにキセキレイ。

かなり遠いがなんとか、ヤマセミ。大きい。カワセミは速くて捕まらない。

アカトンボも日に日に少なくなる。

赤といえばモミジ。

ハマナスの実。

イタドリの実。これは増えるわけだ。

きのこも顔を出す。

テングタケがいつも生える場所。

アケビ。
詩経 ― 2024年09月23日 08:09
詩経 上、中、下巻 春頃から読み始めてようやっと読了。

奥付によると、平成9年からの刊行。刊行を知って、10年頃から刊行の度に買い求めたはず。刊行が遅れたのは、金石文の研究成果を取り込もうとしたものか。儒教の経典としての従来の解釈とは異なり、古代歌謡としての解釈を取る。
同梱の季報によると、詩集としての成立は紀元前4世紀後半以降とある。個々の詩を見ると、殷や周の成立を言祝ぐものもあり、紀元前10世紀以前から語り伝えられたものも含むのだろう。そういう意味では、旧約聖書の古い部分と同じかやや若いくらいの時代を伝えるものか。
字面を見ると、漢文を読んでいる身にも不案内な文字が多く、同じ漢字でも意味が異なるものも多い。解説によると、まだ漢字の成立途上で、同じ音の文字を使い回すことも多かったよう。詩文の伝承が口承から書き物に移行する時期と重なり、口承が正であり、書き物が従だったのかもしれない。論語に「子曰、誦詩三百」(巻第七 子路第十三)とあり、孔子が詩経を暗誦していた、というのは書物を読んで覚えたのではなく、口承で学んだのかも。
内容としては、一族や国の安寧を祈るものなど、公的なものが多い。とはいえ、山川への思い、嫁婿を迎えるための近隣との交流、収穫の喜び、など、当時の生活の一端を伝えるものも多い。他方、政の混乱、それに伴う恨み辛みを述べる詩もあり、早くから社会が成熟していたことも教えてくれる。素朴な古代社会という印象だけでは終わらない。
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