ウィトゲンシュタイン ― 2022年05月02日 09:48
最初、文庫の「論理哲学論考」を手に取ったが、命題調に綴られた短文のそれぞれは、意図が取れなくもないが、全体としてはなんともいえない。
もやっとしたまましばらくいたが、解説書があるのを見つけて手に取る。「ウィトゲンシュタインはこう考えた」は、論考にとどまらず生涯の著作を、草稿やメモを手がかりに読み解こうとする。これが唯一ではないにしても、1つの読み方として、知的なわくわく感を存分に感じることができる。
P.151 「信仰を持つ」とは「生と世界に意味があると考え、そのように生きること」
生の意味を問うきっかけとなったのが、第一次大戦でロシア軍に対する前線に立ったこと、というのは、現在への示唆を含む。
P.326 (言語ゲームの解説として、) 言語を習得するのは (中略) 我々の生の様々な型を体得する過程であり、人間という存在になる過程そのものである。
P.408 「私は知っている」という知の言明を行うとき、その言明において言語と「私」が同時に生まれる。
晩年に向けてのこれらのくだりは、人が生まれて、教師なし学習によって言語を習得し、それとともに「私(自我)」を獲得する、という科学的な認識に、哲学的思考により到達していたとはいえないか。
ウィトゲンシュタインが、生涯を掛けて「私」を見出した旅の記録、そんな読後感。
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