正法眼蔵 ― 2022年09月08日 08:36
最初、岩波文庫の厚い4冊を手に取り、最初の十ページほどで断念。小難しい本もいろいろ読んできたつもりだったが、手に負えないと思ったのは久しくなかった。いきおい、古書店で、日本思想体系本と、しばらく経って日本古典文学大系本も手に入れたところで、積ん読。
この度、一念発起して、再挑戦。思想体系本は、文庫の底本となったものだが、さすがに頭注など充実していてなんとか読み進む。ただ、寺田透の解説は、個性が強く、事前に読んで読解の役に立つという感じではない。
解説の点では、古典文学体系本が優れる。冒頭のもの、収蔵する11巻の巻頭に掲げられたもの、それぞれ要点を押さえたわかりやすいもの。事前に目を通しておくならこちら。
それでも、法華経をはじめとする諸仏典に通じていることを前提にする記述も多く、半分ほど読んだところで、中村元の仏教経典散策(角川)を手に取り、事前に読んでおけば、と少し後悔。ちなみに漢和辞典は必携。
思想体系本に収めるのは、辨道話、75巻正法眼蔵、12巻正法眼蔵。文庫は、加えて付録の5巻。古典文学大系には、75巻正法眼蔵から11巻と、随聞記。一日1~2時間かけて4ヶ月ほど。読了と言いたいが、なんとか目を通した、というのが正直なところ。
とはいえ、道元が面前で講演、講義をしてくれているかのような、肉声が感じられるような語り口は、厳しい口調であることも多いのだが、就寝前の読書体験として格別。
これは、という巻を挙げると、75巻本の24巻「画餅(ワヒン)」。題名の通り、画に描いた餅の話。馴染みの話だが、急展開して、思わぬところに導かれる。
全巻を通して感じるところ、道元は、人にはいろいろのものがあり、仏道の真理に至る契機もいろいろ、したがって、百近くの巻を編み、誰しもその中のひとつでもふたつでも契機のひとつになれば、という思いがあったのでは、と。もっとも、書物に頼らず、只管打坐せよ、と繰り返し書いているのではあるけども。
随聞記は、年表に照らすと、寺というか、参集した面々の組織運営を、懐奘に引き継ぐはじめより、正法眼蔵の執筆を本格化させるまでの、懐奘による5年ほどの記録。正法眼蔵の厳しさに対し、現実の処世での苦労を窺わせる内容。少し柔らかめの口調とあわせて、人間「道元」を感じることのできる一文。
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