東北「海道」の古代史2023年04月16日 12:48


東北「海道」の古代史

奈良時代の頃の東北の有り様を、発掘資料と文字記録を用いて明らかにしようとする。ここでいう東北は、今の茨城、福島、宮城、岩手の南部くらいの地域。蝦夷との最前線が、水沢のあたり(胆沢)。朝鮮半島、中国本土との関係の落ち着きを待って、この地への勢力拡大を本格化させる。

この時重要な役目を担ったのが、太平洋の港々をつなぐ海の道。朝鮮半島とのやりとりでも活躍した紀伊の水軍が、房総(山武市のあたり)を経て、石巻にいたり、北上川の水運を担うことで、上流の最前線への侵攻に力があったのでは、と。意外と近所に接点があったこととあわせ、進路が日本武尊の伝説と呼応するところも面白い。

また、続日本紀の記事によると、住民の移住政策も広く行われたという(P.84)。これは、中国王朝の徙民(しみん)政策そのものといえ、この時期の政策に中国本土の影響が大きかったことを窺わせる。もしかすると、政権を担う人材の面でもそうだったのかもしれない。

古代史というと、畿内や九州の地を扱う本は多いが、東日本に住むものとしてこの地の歴史を教えてくれるのはありがたい。復興した常磐線沿線を旅する楽しみにも大いになる。

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