時間と自由2014年07月30日 16:44

漱石の「こころ」の新聞紙上の連載が始まってから100年を記念し、改めて新聞紙上で連載されているとのこと。

関連してか、岩波の読書誌「図書」4月号にて、当時、日本で流行したベルクソンの哲学と漱石の関連を、赤木昭夫氏が論じているのを読む。どうも漱石が高い関心を持ったとされる、「時間と自由」を手にしてみた。
https://www.iwanami.co.jp/tosho/782/tosho.html

時間と自由
巻末のあとがきによると、原著の刊行は1889年。赤木氏の記事によると、漱石が読んだのは1911年。

数学と物理をよくしたせいか、微分や力学の表現が随所に出てくる。数学と物理が大きく発展した19世紀末の時代背景があったのかもしれない。ただし、数学も物理もこの100年でずいぶんと進んでいる。空間と時間の相違を訴えるくだりがあるが、相対論により空間と時間は相対化された。物理現象と意識の相違を訴えるくだりについても、物理現象は決定論に従うという考えは量子論により修正を受けている。

これらをもって、時代遅れで読むに値しない、とするのは早計。言葉、ないし、概念をじっくり掘り下げて考え抜く、論文を通してその過程を追体験することは、普段、いい加減に考えていることを思い知らせてくれ、新鮮だった。適当な意訳になるが、「ほとんど対立する概念が一つの言葉のうちに込められ、世の中で都合のよい常識になってしまっている」(259ページあたり)、とか、「たいていの場合、私たちは外部の影響を受けて生きており、自由であるのは稀」(276ページあたり)、というのには、はっとさせられる。

それにしても、100年を経て、感じるところは違うとは言え、漱石と同じ本を読む、という経験は感慨深い。