初夏の札幌、野鳥2023年06月02日 15:04

初夏の札幌。昼はクーラー、夜はストーブ、な体調管理の難しい季節。一日の、そして、日々の寒暖差が大きい。

藻岩山

藻岩山。電線のない場所はなかなかないもの。

ハリオアマツバメ

ハリオアマツバメ。群れを組んで高速で滑空する。連写で狙うもボケた一枚がやっと。

コゲラ

アカゲラにはあえなかったがコゲラが登場。

頑張るコゲラ

最後は、こんな細い枝先まで頑張る。

ヤマガラ

地面をふとみるとヤマガラ。

アオジ

樹上を探ると、アオジか。

シジュウカラ

声の主張の大きな、おなじみのシジュウカラ。

ヒヨドリ

下からのアングル。ヒヨドリか。

ハクセキレイ

こちらもおなじみのハクセキレイ。

カイツブリ

水上で声で主張するのはカイツブリ。

カモ

子育てはまだなのか、マガモ。

アオサギ

成田ではあたりまえにいるアオサギもここでは珍しい。

樹上のトリ

青葉も出揃い樹上はこんな感じで、なかなか姿を拝めない。

初夏の札幌、花木2023年06月02日 15:34


トチノキ

街路樹や公園のトチノキが花を付ける。今年は花が多い。

ライラック

札幌と言えばライラック。紫と半々くらい。

アケビ

とっても地味なアケビ。

マムシグサ

水辺が近いところにマムシグサ。食虫植物のような姿。

ギンラン

ギンラン。木洩れ日がやっと届き、落ち葉が厚く積もり、他の草が生えてこないところに孤高の姿。地中の菌類と共生しているので生きていけるのとか。

クゲヌマラン

似ているがクゲヌマランか。こちらの方が数は多い。花の根本のところの出っ張り(距;キョ)がない。個体差もあるそうだけど。

初夏の札幌、動物と昆虫2023年06月02日 15:45


エゾリス

今回もエゾリスに遭遇。こちらはちょっと人なつっこい個体。足下まで来て見上げてくる。

食事中のエゾリス

ふつうは用心深く、遠くから覗くのが精一杯。残像ばかりの写真がいっぱい。こちら、地面を駆けていると思ったら、埋めたクルミを探し当て、樹上でお食事。小気味よい音が聞こえてくる。

エゾオオマルハナバチ

この時期、ぐんぐんと伸びる藤の花にはマルハナバチ。辛うじてお尻が白いのが見える。エゾオオマルハナバチか。

キアゲハ

キアゲハ。

キマダラジャノメ

キマダラジャノメ。

荻生徂徠「政談」2023年06月03日 13:43


政談

吉宗への政策提言書と言われるもの。当時の世情をつぶさに伝える。尾藤氏の訳は、かみ砕いた現代の言葉で読みやすい。

多くは当時の社会や文化に根ざしたもので現在に当てはまるものではない。しかし、巻の3、役人や役所に関するもの。ここは、現代のビジネス書としても通じる一節。政談が描かれたのは江戸開闢から100年ほどのこと。戦後80年の現代と世情は通じるものがある。

地球外生命を探る2023年06月03日 15:17


地球外生命を探る

著者ご本人が本書の内容を語るポッドキャストがある。これを聞いての購入。

KindleでNo.1312あたり、30%ほど読み進んだところに、「生命も実は散逸構造ではないか」との一節があり、得心。

思うに人間の意識も近しいところがあるのでは。情報の流れが絶えずあることが肝心。機械知性が意識を獲得することがあるとすれば、開放系が構築されるかどうか。ただし、開放系は壊れやすく、商業的には人に及ばないかも。認識などの部品とその組合せのみを便利に使う、今の方向が産業として正しそう。ロマンには欠けるけど。

芭蕉のあそび2023年06月03日 16:14


芭蕉のあそび

文化におけるパロディの役割を、俳諧を例に論じる。パロディや言葉遊びというと、高尚でない、と忌避する向きもあるかと思うが、古今、そこここに現れるもの。むしろ、読み進めると、こちらの方が本質に近いのかも、と思わせる。

この本が必要になったのは、江戸と現代の間に文化の断絶があるため。150年ほどしか離れていないのに、引き継がれていない文脈が多々あり、話が通じなくなっている。それは、和歌であったり、謡であったり。

昨今の映画やドラマ、アニメ、小説類、などもおなじ。西部劇、時代劇、スポ根、等々、世の中から姿を消した後、これらを下敷きにした作品群は、今と違った評価をされる未来があるのかもしれない。

絶対数学の世界2023年06月05日 06:57


絶対数学の世界

ゼータ関数まわりの研究界の空気感をよく伝えてくれる。数学についての語りに、折にふれ随想が交錯し、不思議な読み口。数理科学の「リーマン」あたりに目を通していると、見通しやすい。

女帝の古代王権史2023年06月05日 07:05


女帝の古代王権史

平安文学などを読んでいて、妻問婚、が成立するような社会とはどのようなものか、疑問に思っていたが、本書でひとつの答えを得た。父系の家族・家産経営ではなく、兄弟姉妹での家族・家産経営を軸とする社会が、東南アジアから東アジアの海沿いにあり、古代日本はその流れを汲む。兄弟姉妹の経営体の女性に、夫が外から妻問婚の形で遺伝子を供給していた、と。

その後、先進の中国文化を受容するにあたり、父系の家族経営の有り様も浸透。歴史のIFのひとつとして、兄弟姉妹の家族経営を元にした社会が主流になった可能性もあったのか。そうならなかったのは、環境的に人口を維持するための出産の負担が重かったのだろう。

現代は、医療をはじめとする技術の進展で相対的に女性の負担が和らぐ。ふたたび、家族・家産経営の有り様が大きく変わりうる転換点にさしかかりつつあるのやも。