ウィトゲンシュタイン ― 2022年05月02日 09:48
最初、文庫の「論理哲学論考」を手に取ったが、命題調に綴られた短文のそれぞれは、意図が取れなくもないが、全体としてはなんともいえない。
もやっとしたまましばらくいたが、解説書があるのを見つけて手に取る。「ウィトゲンシュタインはこう考えた」は、論考にとどまらず生涯の著作を、草稿やメモを手がかりに読み解こうとする。これが唯一ではないにしても、1つの読み方として、知的なわくわく感を存分に感じることができる。
P.151 「信仰を持つ」とは「生と世界に意味があると考え、そのように生きること」
生の意味を問うきっかけとなったのが、第一次大戦でロシア軍に対する前線に立ったこと、というのは、現在への示唆を含む。
P.326 (言語ゲームの解説として、) 言語を習得するのは (中略) 我々の生の様々な型を体得する過程であり、人間という存在になる過程そのものである。
P.408 「私は知っている」という知の言明を行うとき、その言明において言語と「私」が同時に生まれる。
晩年に向けてのこれらのくだりは、人が生まれて、教師なし学習によって言語を習得し、それとともに「私(自我)」を獲得する、という科学的な認識に、哲学的思考により到達していたとはいえないか。
ウィトゲンシュタインが、生涯を掛けて「私」を見出した旅の記録、そんな読後感。
スピノザ ― 2022年05月02日 10:42
ウィトゲンシュタインを読んだ勢いで、積んでいたスピノザを片付けようと手に取る。問題は読む順。以前、執筆順に従い、知性改善論から手を付けたが中座。
スピノザは17世紀のオランダの人。日本だと元禄の少し前、水戸光圀あたりが同時代人。光の波動説のホイヘンス、ボイル=シャルルの法則のボイル、微積分法のライプニッツが、往復書簡集に登場。ケプラーへの言及(P.175)もある。
世情や人びとの考え方が現在と大きく異なり、そのあたりを埋めつつということで、短論文、エチカ、往復書簡集、と進める。次いで、スピノザ自身の哲学から外れ、デカルトの哲学原理。応用ともいえる、国家論。そして、まとめに、知性改善論。ほか、神学・政治論があるが、手許にない。
書簡集P.165 (英蘭戦争を受けて)人間の本性を嘲笑することは私に許されず、ましてやこれを悲観することは許されないと考えるのです。
書簡集P.321 (文通相手)実にこの奇蹟の上にのみ神の啓示の確実性は築かれうるとほとんど全てのキリスト教徒が信じていますのに。
このような世情をうけ、今でいう炎上にはずいぶん気を遣っている。書簡51に幽霊に関するやりとりがあるが、異なることを信じる人が理解し合うことが難しいのは、時代を超えて変わらない。
国家論P.183 思うに人々を恐れによって導くことしか意図しない国家は過失のないことはありえようが、進んで有徳の国家とはなりえない。人間というものは、自分は導かれているのではなくて自分の意向・自分の自由決定に従って生きているのであると思いうるようなふうに導かれなくてはならない。
このあたり、欧米の近現代の政治思想に連なるものがある。また、ある意味、論語の思想に接近している面も。
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