ライ麦畑でつかまえて2014年11月28日 22:51

今月号(2014年11月)の図書をめくっていたら、池澤夏樹氏の連載で、大人が主役の文学が戻ってきたと述べた後、「アメリカ文学だけが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』なんて言っていまだ青春に悶々としている。正教徒のイノセンスは始末が悪い。」と書いていた。それで、積ん読のままだったのを思い出した。神山監督の攻殻機動隊を見て、今更だけど、と手に取ったもの。

ライ麦畑でつかまえて

どうだろう。十代の終わり頃の男の子は、程度の差はあってもこんなことを考えたりするもの、と言われると、そうであるような、そうでないような。考えていることを、そのまま行動に移したりすることはあったかな。見えているものがあまりに身近で狭いのは、違うかな。このあたりは、時代と土地柄にもあるのか。

最初の著作権表示が1945年とあるから、1940年代のニューヨーク周辺を描いたものか。日本だと高度成長のしばらく後くらいを感じさせる雰囲気が、米国ではその当時からあったのだと思うと、驚く。神仏とか、しきたりとか、かりそめにも道しるべとなりそうなものから、すっかり自由。どうしていいかわからないし、教えてくれる人がいてもそれを信じていいかわからないし、何となく信じたくない。でも、なにか見つけられそうな予感はある。

最近だと、この年代は、受験勉強だなどと知識を詰め込まれたり、ハウツーものが幅をきかせて促成されるのに慣れっこになったりと、悩んだり寄り道する余裕もなくなっている。それとも、悩まなくてもどこかに連れて行ってくれるのか。でも、それだと成長する世の中にならないと揺り戻す。